REASON

前職の仕事内容と、
転職の経緯や理由

学生時代から海外の仕事に興味があり、一社目は通信インフラ、前職ではソフトウェアを取り扱う外資系企業に勤めていました。希望通り海外に関係した仕事ではありましたが、しだいに「日本の技術で海外に打って出る」仕事、「大きなプロジェクト・ものづくり・インフラ」に携わる仕事にロマンを感じるように。働き方についても、一緒に働く人たちとの長期的な関係を重んじる日系企業の方が自分に合っていると感じ、転職を決意しました。そして、自分の条件にぴったりだったのが、製鉄プラントの仕事だったのです。

その中でも当社を選んだ理由は、鉄は世界の産業と人々の暮らしを根幹から支える社会貢献度の高い仕事であること。加えて、海外で大規模なプロジェクトを手がけていたことです。ただ、最初は国内の経理関係を、という話は面接時に聞いていました。海外税務などは長く担当していたものの、国内の仕事は経験がなく不安でしたが、中途採用でもポテンシャルを見てもらえて新たな仕事にチャレンジできたのはありがたかったです。

IMPRESSION

入社前・後の印象は

入社前に話があった通り、国内の仕事からキャリアがはじまったため、担当業務面で入社前後の印象が変わることはありませんでした。

その後、2012年には希望の仕事が担当できる海外戦略推進室に、2018年からは現在のキャリア育成支援室に配属されました。これまで人材育成は職場に任せきりで、統一した育成手法が確立されていないことが課題でした。そこで、階層別に到達目標を明確にすることからスタートし、eラーニングをはじめ、社員の学びとスキルアップを支援するための様々な施策を導入しました。

一方で私自身も経験したように、ポテンシャルを考慮した採用や長期的な視点での育成は、当社の強みです。また、当社は製鉄プラントの大手4社が統合して設立された歴史があります。そこから引き継いだ高い技術力や優秀な人材も含めて、良い部分は残しつつ、さらに社員がモチベーション高く働ける会社に成長できるように、制度や環境を整えていきたいと考えています。

CHANGE

スチールプランテックで、
自分はどう成長したか

変化という点で大きかったのは、海外戦略推進室でインドの子会社立ち上げを担当したことです。異なる考え方や価値観を持つ人々と仕事をしたことで、異文化やイレギュラーなことへの対応力が身についたと思います。社内に経験者がいない中、ゼロからインドの税法と会社法を学び、会社運営の基盤を作りました。何も分からないまま現地に飛び込み、まずは現地の会計士や弁護士、ローカルスタッフと仲良くなり、インドで行われている経理業務や予算管理、人事などについて教えてもらいました。日本の慣習や考え方と異なる点が多く、お互いが納得する形で調整を行うのに苦労したのを覚えています。帰国する日にインド人のマネージャーから「この経験を通してチームのメンバーが成長できた」と言ってもらえたことは、苦労が報われた気がしてとてもうれしかったです。また、日本の常識が通用しない中で、常にゼロベースで物事を考える癖も身につきました。

そういった経験を積んだからこそ、現在の仕事に活きていることも多いです。人事への異動も、そこに変化を起こしてほしいという期待があったと理解しています。これまでのやり方を踏襲するのではなく、「なぜ、これをやっているのか?」と目的から考え、課題を見つけ出し、改善のために行動できたのはインドでの経験があったからこそです。

VISON

これまでの、
そしてこれからの
キャリアについて

振り返ってみると、マルチなキャリアを歩んできたことが、今の自分の強みに繋がっていると思います。海外税務という軸はありつつ様々な仕事を経験したことで、未経験の仕事への順応や、既存業務の課題解決、新しいアイデアの発想が行えるようになりました。

例えばダイバーシティ推進やキャリア自律推進は、海外での経験があったからこそ課題意識を持って取り組んだことです。次は海外に人材供給拠点を作り、ボーダーレスな採用・育成体系を構築し、世界中の人々に仕事面で平等なチャンスを提供することが目標です。

昨今、AIの進化で働き方が大きく変わりつつあります。専門的な業務領域はAIが引き受ける可能性も出てきました。そんなとき、人間に求められることは、AIと人間の価値観が合うように判断することだと思います。一つのキャリアや国に捉われず様々な経験を積むことで、共感力や想像力を養うことができます。それが多様な判断軸や、自分の個性にもなるのです。マルチキャリアという選択は、これからの時代に活きてくると思います。

WORKS

  • インドでの子会社設立時のオフィスにて

  • インドの鉄鋼メーカーとインド子会社との、若手エンジニア交流会終了後の記念撮影。この中にはその後、子会社から当社に転籍した人物も